書籍紹介:根井雅弘『ものがたりで学ぶ経済学入門』中央経済社

 経済学には多くの教科書がある。中学・高校では教科書で経済学の基礎を学ぶ。大学でもマクロ・ミクロ経済学といった基本から財政学・環境経済学など応用分野まで教科書が溢れている。本書は、高校生が学ぶ経済学の基礎と大学で本格的に学ぶ経済学をうまくリンクさせる意図で書かれた。高校生向けとも思えるが、専門家にも気づきのある本である。

 ちなみに、私が大学院生の頃には、サムエルソン(岩波書店)を繰り返し読んだ(私は経済学部出身ではないので、経済学を初めて学んだのは大学院時代である)。今はマンキュー(東洋経済新報社)を読む学生が多いだろう。本書は、そのマンキューに書かれていることを批判的に検討するところから始まる。

 それは、「経済学の祖」とも言われるアダム・スミスに関する部分である。スミスの主著は『国富論』だが、「見えざる手に導かれて…」という有名な言葉を使って自由放任主義を唱えた、とされている。経済学の理論では、価格が調整されることで個人が利己心に従って行動しても社会全体の厚生が最大化する。この点が、スミスの偉大な洞察として経済学の教科書に紹介されている。

 しかし、著者はスミスがそうした存在ではないと述べる。スミスは本来、道徳哲学者であった。その名声を広めた著書は『道徳感情論』である。彼は決して人間の利己心は否定しないが、自由放任を主張したのではない。「中立な観察者」が「同感」できる程度に個人の感情や行動を自己抑制しなければ、社会的な秩序が成立しない、と述べている。

 また、『国富論』はスミスが大学教授の職を辞任した後に出版された。記述の中心は経済学であるが、そこで利己心を強調したのは分業の利益を説明するためであり、『道徳感情論』で述べた思想を放棄したわけではない。また、「見えざる手」という言葉も国富論に登場するが、これも経済学の教科書にあるような価格メカニズムによる需給調整機能を述べたのではなく、資本家が己の資本をより安全で生産的労働者をより雇用できる自国内にまず投じる、ということを表しているという。

 このように、「経済学の祖」とされているスミスの体系と現代経済学の違いを理解する必要がある。経済学の理論は、スミスを離れても揺るがないだろう。しかし、スミスを持ち出して、経済学は最初から自由放任を志向していたと考えるのは誤りである。本書は10章で構成されているが、このうち5つの章をスミスに割いている。経済学の教科書ではスミスを正しく理解することができない、ということに著者が大きな危機感を持っているのであろう。

 他の5章では、リカードからケインズに至る経済学の展開やが順を追って描かれ、マルクスへの言及もある。それぞれの経済学者が置かれた環境や出自、時代背景によって理論的発展が見られたことが理解できる。彼らが、その時代に生きた人間として経済学をどう構想してきたかが伝わってくる。

 経済学のテキストは体系的で厳密な理論が描かれており、物理学や化学のような不変の真理のようである。しかし、決してそんなことはない。経済学は、上記の様なプロセスや流行の積み重ねによって現在に至ることを心得ていなければならない。もちろん、これからの経済学も同じである。

 なお、本書には2つの特徴がある。1つは、登場人物が3人、すなわち、①家庭教師の大学生、②①の生徒である高校生、③②の父親である経済学者で、③が家庭教師として②の家に行った時に父親である③から経済学を教えてもらう形をとっていることである。これは、アドラー心理学を解説した『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)の形と似ているが、臨場感があって読みやすい。また、高校生の名前が杉本栄一君という実在の経済学者で、同氏は『近代経済学の解明』(岩波文庫、上下2巻)というタイトルで同じような対話形式の書籍を出版している。この本もかなり意識しているのではないか。

 もう1つの特徴は、スミスを始めご本人まで登場することである。経済学を勉強していた①が疲れて眠りにつくと、夢の中で本人が登場して対話する形になっている。過去や未来に行くストーリーは最近の小説や映画・ドラマでもよく使われていることを思い出した。この2つの特徴から、読みやすさや興味を引くために著者が工夫を凝らしていると感じる。

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