一部緊急事態宣言解除という「明るい話題」と「緩みへの懸念」
先日の投稿では、新型コロナウイルスへの対応に関して出口戦略の重要性と危険性の両方があることについて述べた。
その後、明日にでも一部の県で緊急事態宣言が解除される見込みとなった。ほとんど新規感染者がいない状況のなかで、ようやく見えてきた明るい兆しと言える。
一方、緊急事態宣言の解除によって緩みが出ることも懸念されている。すでにGW明けから人出が増えた部分もあり、東京都知事は「これまで外出を我慢してきた成果がチャラになってしまうのではないか」と解除に対する率直な心配を述べている。
これらの対照的な反応は、まさに出口戦略の重要性と危険性の両方に関係していると言えるだろう。すべての地域で緊急事態宣言が解除されるわけではないものの、地域によっては長いこと感染者が出ていないところや、減ってはいるものの依然として多くの感染者が出ているところもある。そうした事情を踏まえて緊急事態宣言の解除も一部の地域に限られるのである。ただ、対照的な反応は解除される地域とそうでない地域で分かれている印象はない。
そこで、先日の投稿では出口戦略の危険性に重点を置いて意見を述べたが、今回は緊急事態宣言の解除を控えたなかで重要性の部分についての私見を述べることにしたい。
緊急事態宣言が解除されたとしても、これまでの生活に完全に戻しても感染が起こらないという状況になったわけではない。つまり、緊急事態宣言の解除とは「緩める」ことであり、第二波の到来も見据えたものである。経済活動を取り戻しつつ、第二波が起きても対応可能な体制を整えておく、というものであろう。ワクチンが開発されるまで1~2年程度かかると言われているが、それまで時間稼ぎのように自粛と緩和が繰り返されるのではないだろうか。
もちろん、緩めることが難しい場合・地域もある。感染リスクを考慮して経済活動を取り戻すことが難しい場合、医療体制が十分でない場合、時間稼ぎが受け入れられない場合などである。東京がその代表であろう。対応が難しい地域では「緩める」ことも当然難しくなる。
いずれにしても緊急事態宣言の一部解除は「緩めること」であり、「緩む」こともその結果と言えるのではないか。それが場合・地域によって、許容されたりされなかったり多様な事情がある。このことが、解除に対するさまざまな反応にも表れているように思われる。
我々の活動も、「緩む」ことを戒めるというよりも、どこまで「緩める」ことができるかを冷静に把握したうえで、許容される範囲で行動を広げていくことが求められるだろう。