水曜コラム「公務員の学び」第3回:新型コロナ対応で試される地方公務員の学びの力
新型コロナウイルスへの新規感染者数がしばらく落ち着きを見せているなかで、これからは経済への影響が本格的に顕在化し、長期的な視野で経済活動を取り戻していく方策が求められている。
新型コロナウイルスのように、突然我々に襲いかかり、全世界に大きな影響を与える問題に対して、できる限り適切な分析と十分な規模のある迅速な対応をしていかなければならない。そのためには、最終的には政治的判断によるとはいえ、その判断を促す専門家や公務員の役割も非常に重要である。そこで、公務員の学びの力も大きく試されてくるのではないだろうか。
これまで、地方公務員は特に仕事のために自ら学ぶことなく、国からの指示や助言に従っていれば良かったと言える。経済成長や豊かさを大きな目的として、国全体が1つの方向に向かっているときは、むしろその方が都合が良かったとも言える。しかし、格差の拡大を含む地域の多様化が進んでくれば、国は1つ1つの自治体にぴったり合った指示や助言をする事はもはやできなくなってくる。そして、国もグローバル化によって人や物・情報がいとも簡単に国境を越えていく時代のなかで、法人税の引き下げ圧力などもあって国の力も徐々に喪われてしまう可能性もある。
もちろん、そうしたなかでも国は何らかの指示や助言を地方に出してくる。今回の新型コロナの対応に関して言えば、国として判断しなければならない点ももちろんあるが、地方個々の事情に応じて独自に判断すべき部分もある。そして、国と地方がそれぞれ判断すべき領域が必ずしも明確でないとき、地方が自らの判断で決めようとしたことに対して国から助言(横槍と言ってもよいかもしれない)が入る可能性が出てくる。「自分が社長だと思っていたら実は中間管理職だった」というようなコメントも、地方自治体の長としての素直な気持ちなのであろう。このコメントからは、地方自治体が自ら決めようとしていることは伝わってくるので、その点は良いと思う。しかしながら、それを国が上書きしようとするのは、東京だからかもしれないが、すべての地方にしようとすれば今や成功よりも失敗の可能性の方が高いのかもしれない。
かつては国家無謬説という言葉も聞かれたが、今や聞くことはほとんどない。 国もところどころで誤った判断をすること(もしくは、国の判断では対応しきれない地域が表れること)は十分ありうる。その時、地方公務員は国からの指示や助言を盲目的に受け入れてはならない。もちろん、それも地方は参考にすべきであるし尊重すべきものではあるかもしれないが、国から出たものだから正解という保証はどこにもない。
頼るべきは住民の置かれた状況とこれを冷静に捉え、温もりのある対策を打つことのできる地方自治体(首長と公務員)の力である。そこで、地方公務員には学びが求められるのである。もちろん、このような事態に突然襲われても的確に対応するためには、事前の十分な準備が必要である。どのような事態が発生するか十分な想定を事前に行い、その対策を練っておかなければならない。したがって、踏み込んで言えば、公務員の学びはもはや教養のためではなく、すべてが実践的なものになると言える。