土曜コラム「今週のニュース雑感」第4回:首長の給与減額は適切なのか?

 今週ツイッターで取り上げたニュースを振り返って、コメントしたツイートの意図を詳しく紹介したい。

 コロナ禍で相次ぐ首長の給与減額 「本末転倒」指摘も 埼玉

 このニュースに関して、私は次のようにツイートした。

 首長の覚悟は伝わってくる。具体的な対策ととともに強いメッセージを発信さることで、地域が一致団結してコロナ対応に当たるきっかけになることを願うしかない。

 首長のこうした対応は、ある意味で日本的である。企業経営者でも、リストラなどで従業員に迷惑をかけるような場合は、社長自ら退陣して従業員と道を共ににする、という形をとることがある。リストラされる側も本意ではないが、「社長が辞めるなら仕方がない」と納得せざるをえなくなる。首長の給与減額は、その地域版と言えるかもしれない。コロナの自粛で苦しい思いをしている住民も「リーダーも自分たちと苦しさを共有している」と、ある程度納得するのではないか。さまざまな活動の抑制を、強制ではなく自粛要請で図ろうとすると、トップへの共感が人々の行動を促す可能性は確かにあると思う。

 首長の給与減額は、もう一つの側面があるようにも思える。新型コロナによる10万円の給付金について、公務員には「給料が減らないのだから受け取るべきでない」といった公務員バッシングや「首長から寄付を呼びかけられたが、実質的に強制ではないか」という一種のパワハラ騒動のような形でが報道された。首長の給与減額は、自らこうした風潮に飛び込んだものとも言えるかもしれない。

 そうした意味では、首長の給与減額には一定の効果があると思う。つまり、住民の共感を生み行動を促す効果と、公務員周辺の報道に対する抑止的な効果である。

 しかし、やはり必要なのは客観的な証拠に基づく適切かつ具体的な対策である。コロナ対応では「大阪モデル」や「神奈川モデル」など、地域ごとに特徴的な対策が注目され、それを打ち出す首長の存在感が高まった。この点については以前の投稿でも触れたが、それを「モデル」と呼ぶかどうかはともかく、地域ごとの状況を踏まえて、経済活動の停滞を最小限に抑えつつ最大限のコロナ対応をするための具体策が必要である。

 そうした対応がないまま給与減額だけが独り歩きすると、単なるパフォーマンスに終わってしまう。むしろ、重要なのは具体策である。給与減額だけしても、具体策なくして住民の適切に行動できなければ、意味がない。まず具体策があって、そこに給与減額という心に響くメッセージが乗ることで、地域が一致団結して効果的なコロナ対応に当たることができるのではないか。

 報道機関や住民は、首長が給与減額の宣言とともにどのような具体策を提示したのか、ぜひ注目してほしい。

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