金曜コラム「私が学んできたこと」第10回:テキストブックの功罪(特に経済学)

 小学校から高校までももちろんだが、大学で学ぶ学問にも教科書がある。学術書も出版事情が厳しくなってきて、大学の講義で使うテキストもなかなか売れない。経済学にも「定番」と呼ばれる教科書がある。かつては、アルフレッド・マーシャルの「経済学原理」が有名であり、サムエルソン「経済学」、最近はマンキュー「経済学(各種)」などであろうか。私が勉強してきた財政学でも、マスグレイブ「財政学」(絶版だったので、古書店で数万円で購入した)のような定番がある。

 しかし、特に経済学にはさまざまな立場の考え方がある。また、時代背景によって理論やモデルが登場し、彫琢されてきた。つまり、さまざまな切り口でさまざまな理論が展開してきたのである。テキストは、このうち代表的なものを平易・簡潔に解説してくれるから、経済理論の展開を素早く取り込むことができる。これは、テキストブックの良い面と言えるだろう。

 一方、テキストブックはさまざまな理論がどのような時代背景に生まれ、従来の理論をどう乗り越えてきたのかが省略されている。そのため、今私たちが直面している問題に対して、どのような理論を用いてどのような解決を模索すべきか、また、従来の理論をどう乗り越えていくべきなのかが分からない(こうした点に配慮した、素晴らしいテキストブックももちろんある)。

 見方を変えれば、テキストブックに書かれている理論は、物理や化学のような「永遠の真理」ではなく、「現時点で多数説として残っているもの」にすぎない。これまでも、残っている経済理論で解けない問題に対して、新しい理論が登場してきた。したがって、最新版に書かれている理論もいつか乗り越えられ、消える運命にあるものかもしれない。

 経済学のテキストブックから経済理論を学ぶ際には、この点を十分に踏まえて、テキストブックだからといって安易にうのみにしてはいけないのである(もちろん、私自身は理論家ではないので、私の恩師の先生から学んだことに過ぎないが)。

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