日曜コラム「マイ・オピニオン」第20回:高レベル放射性廃棄物最終処分地の文献調査について
今回は、私の専門分野である原子力政策について大きな展開がありましたので、それについての私見を述べたいと思います。それは、高レベル放射性廃棄物最終処分地の文献調査を北海道の2つの町が行うことになった件です。
今回の件は、これまで長年にわたって原子力政策の大きな隘路となっていたものを打破する、大変重要な一歩です。日本で初めての商業用原子力発電所が運転を始めた1966年から現在まで半世紀以上が経過し、その間、50基以上の原子力発電所が稼働してきました。私たちが使用する電力の3割以上が原子力で賄われていた時期もあるほどです。つまり、原子力発電は私たちの生活に欠かせない存在でした。
原子力発電は、発電に核燃料を使用します。しかし、高レベルの放射線を発する使用済み核燃料を処分するための場所がこれまで決まらなかったのです。「トイレなきマンション」と揶揄されることもありますが、処分地を選定することが、原子力政策の大きな課題となってきました。
これまでにも、処分地の受け入れ検討を表明した自治体はありますが、住民の猛反対で断念しています。今回、ほぼ同時に2つの町で文献調査が行われる見通しとなったことは、これまでにない大きな一歩であると思います。
この件に関して、報道では文献調査の実施で20億円の交付金が出ることが強調されます。つまり「お金が目当てなのではないか」というニュアンスです。人口減少や財政の逼迫などで苦しくなった自治体が、交付金がほしくて調査を受け入れるという構図と捉えているのでしょう。読者は「交付金で町を売った」かのような印象を2つの町に対して持ち、町の姿勢を批判的に捉えてしまうのではないかと思います。
しかし、原子力発電は私たちの生活に欠かせない存在であり続け、発電によって放射性廃棄物が出るものです。したがって、どこが処分地に選定されるかは電力を消費してきた国民全体の問題であり、一人一人が自分たちのこと、当事者として捉えるべきものです。受け入れのための調査をしてくれることに対して、批判よりもまずは感謝が先にあるのではないかと考えます。
もちろん、原子力政策を進めた国の対応に問題がなかったとは思いません(ここでは省略します)。また、2011年の福島第一原子力発電所の事故を教訓に、原子力発電への依存度を低減していく方向性も正しいと思います。しかし、それらを批判すれば問題が解決するわけではありませんし、だからこそ国民が強い関心と当事者意識を持って政策にかかわるべきではないでしょうか。
20億円の交付金が妥当かどうかも、そうした姿勢で考えてほしいと思います。なお、処分地を決定するためには3段階の調査が必要で、現時点で交付金は2段階までしか決まっていません。今後は、最終段階での調査や処分地決定から建設・稼働の段階でどのような支援が必要になるかが検討されるでしょう。そうした時にも、原子力発電を利用してきた国民として議論が深まっていくことを期待したいと思います。