火曜コラム「オススメ書籍」第30回:千正康裕「ブラック霞が関」新潮新書
本書の帯に書かれてある「7:00仕事開始、27:20退庁」という言葉だけでも、本書は相当なインパクトがあります。私も14年間の地方公務員の経験で、選挙の投開票でそれに近い仕事をしたことはありますが、それでもたった1日だけです。霞が関の官僚は、それを日常的に行っているということに衝撃を覚えました。
本書の記述から分かることは、こうした傾向は最近のことである、ということです。つまり、かつてはここまでの激務は稀であり、たまにあったとしても人事異動で負担の少ない部署(お疲れさん部署)に配属されて、体力と気力を回復させることもできたようです。また、かつて若手職員は先輩と行動を共にして鍛えられる機会となっていたのですが、最近では若手職員も激務に追われ、先輩が行動を共にさせることも躊躇してしまう状況になっているようです。そうした配慮があっても、なお負担が大きくやむを得ず長期休業に追い込まれるケースも多くあると紹介されています。
そうした中で著者の所属していた厚生労働省では、女性の(もちろん男性もですが)育児休業なども率先して取り組んでいますから、フルタイムで働ける職員が希少な存在になっているようです。できる職員に仕事が回ってくる傾向が多いと思われるので、長期休業に追い込まれるギリギリまで負担を抱えるケースも多いのではないかと思います。
もちろん官僚になる人は、仕事への誇りや使命感を強く持っています。おそらく民間企業に勤めれば多額の収入を得られるにもかかわらず官僚を選ぶのは、そうした部分が強いモチベーションになっていると思います。しかし、それがかえって負担をもたらしているのは、何とも皮肉なことです。
しかも、官僚の不祥事などもたびたび報道され、バッシングも強くされますが、それらへの対応に追われることが本来すべき仕事をおろそかにしてしまい、次の不祥事を招く、という悪循環もあるようです。これでは仕事への誇りや使命感も失われてしまい、「何のために官僚になったのか」と考えて退職してしまう人も増えてしまうのではないでしょうか。
若手職員の負担が大きくなる一因として国会対応などを取り上げる文献は多いですが、本書にはユニークな指摘がありました。それは「スーパーサイヤ人のような人たちが上に立つ組織である」ということです。つまり、上司が若いころに負担の大きな仕事をこなしてきた経験を持ち、それが昇進につながったのだから、上司の評価も同じ基準にならざるを得ない、ということです。
著者も決して官僚の仕事が嫌になって退職したのではなく、今なお使命感を持って違う立場で関わっていると述べています。したがって、本書はそうした霞が関の実態を暴くということが最終目的ではなく、本来あるべき官僚の仕事を遂行するために何が必要なのかを述べている点が重要です。 その内容が何であるかは、本書を読んでいただきたいと思います。