金曜コラム「文章、プレゼンの基礎」第15回:作成する側だででなく、審査する側も大変

 このコラムでは、文章やプレゼンテーションを作成する側から述べてきましたが、今回は審査する側のことについて述べたいと思います。

 私は文章やプレゼンをこれまで何度も作成してきましたし、審査も受けてきました。もちろん、良い結果の時もあれば思い通りの結果にならなかったこともあります。そうした成功や失敗の経験すべてが今の自分に役立っていると思っています。また、教員の立場で学生の文章やプレゼンの審査にも関わっていますし、また専門家の立場で社会でもさまざまな審査を経験してきました。

 審査を受ける時も大変ですが、審査をする側もそれと同等、もしくはそれ以上に大変なプレッシャーがかかります。例えば、昨年のM-1グランプリでも「評価がおかしい」とか「好き嫌いでしか見ていない」といった批判をされることもあり、審査結果の重みが大きければ大きいほど責任も大きくなってくると思います。そのプレッシャーから、審査員を辞退したがっているという話も聞きました。

 私はそこまで大きな影響力のある審査をしたことはありませんが、いずれにしても審査を受ける側も真剣に望んでいるので、その気持ちをしっかり受け止められる真剣な審査をしなければなりません。そして、結果が出た時、Mー1でもそうですが、審査員によって評価のポイントや視点が違っているので、必ずしも審査員全員が同じ結果を出すとは限りません。聴衆の見方とも食い違うことがあります。時々、どの審査員も同じ評価をすることがあり、その時は迷いなく全体の結果を出せるものの、そうでない時には誰が最も良いのかを決めるのはやはり大変です。どの発表者の、どういった点を、どのように評価したのかを話し合い、総合的に結果を判断することが多いと思います。

 したがって、審査する側も真剣ですし、誰もが納得できる審査結果を出せるかどうか不安を抱えながら審査をしています。裏返して言えば、発表する側は事前に審査員がある程度分かっていればどういったところが判断基準になるのかをある程度予測して、審査に臨むのも有益かもしれません。また、審査員の考え方がすべてではないので、出された結果もすべてというわけでもありません。結果も重要ですが、結果に一喜一憂するのではなく、1つの見方として真摯に受け止め、課題などが示された場合は貪欲に取り入れて磨きをかけていってほしいと思います。

 同様に、審査する側もさまざまな審査員の考え方や視点を取り入れ、より審査に磨きをかけていかなければならないと痛感しています。

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