土曜日企画「ここで差がつく!地方公務員をめざす学生が知っておきたい最新ニュース」を投稿しました!

 このコーナーでは、毎週ツイート・コメントしている最新ニュースの中から1つだけピックアップして、より詳しく解説、意見を述べたいと思います。ツイートをご覧いただくとともに、最新ニュースを知り、小論文や面接で自分の意見を述べるためのヒントとして、活用してください。

 今週ピックアップするのは、次のニュースです。

 文科省と財務省 小学校の教員定数増巡り、今年も予算で火花

 これに関して、私は次のようにコメントしました。

 コロナ禍で教育を巡る状況は大きく変わったと思う。「今年も」ということは、変化しても同じ攻防をしていることになる。仕切り直しが必要では? 

 教科担任制とは、特定の科目を専門に教える教育形態のことです。中学校以降では、英語担当A先生、数学担当B先生…といったように、科目ごとに担当の先生が教室に来て授業を行います。学生にとっては、科目ごとに先生が変わっていくわけです。しかし、小学校ではクラス担任の先生が大半の科目を教えています。そこで、児童はほとんどの科目を固定された担任の先生から教わるのです。

 文部科学省は小学校5・6年生の英語・理科・算数・体育に教科担任制を導入し、専門性を持った教員による教育の質の向上に加え、教員が受け持つ授業コマ数を減らすことで、負担軽減を図ることをめざしているようです。2025年度まで4年間かけて教員定数を8800人増やす計画を立て、第1段階として22年度は2000人の増員を要求した、とのことです。つまり、予算の増額を財務省に求めることになります。
 予算の編成では、国の各省庁が必要な予算額を財務省に「要求」し、財務省はそれを「査定」して必要と判断した金額を予算に盛り込むことになります(地方自治体も同様)。したがって、極端に言えば財務省の了承なしに教科担任制は実現しないわけです。
 しかし、各省庁から出される要求をすべて飲み込めば経費が膨らみ、税収を大幅に超えれば借金に手を付けなければならないので、財務省は必要最小限の金額に抑制しようとします。こうして、予算を認めてほしい文部科学省(や各省庁)と予算を抑制したい財務省との間で、予算確保をめぐる攻防が繰り広げられることになります(水曜日連載「リアル体験!地方公務員誌上インターンシップ」でも、その模様を紹介しています)。
 記事を読むと、財務省がさまざまな角度から予算を抑制しようとしていることが伝わってきます。財務省は「負担の少ない中学校の教員を活用すべき」と主張しているようです。これに対して、文部科学省は「地理的に離れた学校もあるので困難な点もある」と応酬するといった具合で攻防が展開されています。こうしたプロセスを経て、最終的な査定額が決まることになります。

 私は地方自治体で財政課に所属し、こうした応酬の現場に身を置いてきました。そのため、つい財務省の立場を擁護しがちなのですが、コロナ禍の影響で教育現場の変化も加速しています。特にGIGAスクール政策でパソコンが全員に貸与され、オンライン授業なども積極的に導入されています。こうした変化は、先生が教室で全員に向かって授業をすることの必要性さえ変えていくと感じます。例えば、オンラインで不特定多数の児童・生徒に授業をしたり(複数の学校でも問題なし)、個人の到達度に応じて授業の内容や難易度を変えたりすることも可能になります。スタディサプリのようなオンデマンド教材も学校に取り入れられていますし、テストの採点や連絡などもオンラインで管理できるわけです。こうした変化を受けて、先生は児童・生徒の学びをサポートする役に徹して負担を減らせるばかりか、よりきめ細やかな教育もできるようになるでしょう。こうした変化にとって最も障害となるのは、長年の教育経験で培われた「先生はこうあるべき」という固定観念なのかもしれません。
 実情はもっとコロナ禍の影響が考慮されているのかもしれませんが、教科担任制の導入は文部科学省がコロナ禍以前から進めてきたことで、ようやく全国展開のところまでたどり着いたものです。それだけに文部科学省の官僚や学校の先生にとっては「永年の悲願」とも言えるもので、往々にしてこれまで求めてきたことが実現しそうになっている時に前が見えなくなりがちです。私は学校教育の現場に精通しているわけではありませんが、記事には文部科学省と財務省の攻防が「予算編成によく見られる風物詩」のように報道されています。なので、今なお時代が教科担任制の導入を要請しているのかを十分考慮することなく、前が見えなくなっている状態にあるのではないかと感じざるを得ません。コロナ禍がもたらした時代の変化を見据えて、今一度仕切り直して学校教育のあり方を考え直す必要があると感じます。 思い出すのは、コロナ禍が始まる頃に「9月新学期制」の議論が唐突に出てきたことです。結局、その議論は立ち消えになりましたが、学校現場の事情を知らない外部からの(=政治主導による)議論だったために、学校現場にとってはトラウマとして残ってしまったように感じます。それ以前にも突然の休校要請があったりと、最近の学校現場は外部に翻弄され気味です。今回の教科担任制の導入は文部科学省や学校現場のメンツを保つ意味もあるのかもしれません。しかし、それでも時代が変化している以上、柔軟性も必要だと思います。文部科学省が率先して変化を柔軟に捉え、次世代の教育のあり方を再構築することが必要ではないでしょうか。もちろん、議論の結果として教科担任制が必要と判断されたとしても、決して時間のロスということではなく、教科担任制が新しい時代に持つ意味が付与されたことになるのでむしろ好ましい形になると思います。

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