水曜コラム「公務員の学び」第1回:幸福の正体を改めて考える

 私が長らく住んでいた福井県は「幸福度ナンバーワン」という称号をいろいろな調査で長らく獲得してきた。もはや指定席と言っても良いくらいである。

 例えば、都市の住みよさをランキング形式で紹介する東洋経済新報社「都市データパック」では、福井市が800以上の市の中で1位を何度か記録しており、県庁所在地では唯一である。また県内の他の市もベストテンにいくつも入ってくるし、北陸地方に範囲を広げるとベスト30の半分くらいまで占める。ランキング調査の結果は地元の福井新聞でも毎年報道され、福井県が幸福度の非常に高い地域であることを県民も理解している(ただし実感しているとは限らない)。

 また日本総合研究所が行っている「都道府県幸福度ランキング」でも福井県は1位となり、坂本光司「日本でいちばん幸せな県民」でも同じ結果となった。いろいろな調査結果が出るたびに福井県は1位であることが多く、政策のコンセプトでも「幸福度ナンバーワン」を地域の魅力として打ち出すようになっている。

 もちろん、これにすべての県民が心の底から共感しているわけではない。例えば、雪の多さ。ここ2年ほどはほとんど雪が降らなかったが、冬になると積雪で車での移動に恐ろしく時間がかかり、事故の危険も高くなる。雪で踏み固められた道を走るのは、ちょうど舗装されておらず大きな穴がところどころで開いている海外の道路に近い。歩いた方が速いくらいであるし、車も壊れてしまうのではないかと思うほどである。こうした点は、上記の調査では考慮されていない。大きな災害が国内で続けて発生し、災害への不安が高まりつつあるなかで、福井の雪も大きな脅威である(3年前に大きな被害を受けたが、その後はほとんど雪が降らなかった)。

 また、自動車が移動に不可欠なことは、評価が分かれる。マイナスな点は、公共交通の不便さに表れる。電車は日中になると1時間に1本くらいしかなく、電車に乗り遅れると、都会ではたいしたダメージはないが福井では致命的である。駅周辺の中心市街地は郊外のショッピングセンターに客を奪われ、衰退が進んでいる。結局、自動車がないと生活はきわめて不便になる(だから積雪も困るのだ)。一方、車は高価な耐久消費財であり、財産でもある。この点がプラスの点になる。ランキングにも、家庭の豊かさを表す数字として捉えられることが多い。しかしながら、自動車は一家に1台ではなく1人で1台という状況で、そうでないと不便だから持っているだけである。

 他にもいろいろとあるのだが、ここでは本題ではないので別の機会に述べたいと思う。

 私自身は福井県に長らく住んできて決して不幸ではなかったので、福井県は住みやすいと実感している。しかし、これまでとは違った観点で幸福度をとらえる論考が最近増えてきて、興味深い視点を提起している。例えば、ダニエルネトル『幸福の意外な正体 ~なぜ私たちは「幸せ」を求めるのか』(きずな出版)によると、生活を自分で管理できる機会が与えられていると人間は幸せを感じるという(参考:東洋経済オンラインー金森茂樹:日本人が「幸せ」を外国人より感じない根本理由ー「世界幸福度ランキング」の結果をもとに分析)。また、神戸大学の調査によると、所得や学歴よりも自己決定が幸福度に大きな影響を与えていることが明らかになった。これら2つの結果に共通していると私が感じたのは、幸福は与えられるものではなく、自分で追求するものであり、結果よりもプロセスが重要であるということである。

 これは、むしろ福井県の決して得意とは言えない分野ではないか。先に示したランキングでは、人々に共通して与えられた環境が多く含まれている。例えば、人口あたりの商業施設面積とか病院数・保育園定員数などである。また、福井県の特徴として3世代同居や共働き率の高さなどがよく紹介されるが、これも本人(特に子育て世代)が必ずしも強く望んでいない側面もある。周囲からの見えない力が、個人の自己決定を抑制している可能性がある。このことが、「幸福度ナンバーワン」と言われることに福井県民が実感を持てない1つの要因と言えるかもしれないし、与えられない状況を自分の努力で乗り越える方が掴んだ幸福も大きくなるのかもしれない。

 福井県は確かに与えられた環境の面では非常に充実しており、生活環境の良さは特筆されると私も思う。だが、その中で一人一人が自分の主体的に選択できる状況にあるかどうかの方が重要であるという指摘は、私にとってとても衝撃的であった。

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