火曜コラム「オススメ書籍」第6回:橘木俊詔著「新しい幸福論」岩波新書
幸福は人間誰もが追求するものであるから、本書は人間の行動を根源的に問い直すものと言える。そして、幸福が追求できる環境を整えるという意味では、本書は政策に求められるものを根源的に問い直すものでもある。ふだんの忙しい日々の中で幸福について考える余裕すらなくなっているが、本書を読むとそのヒントが見えてくる。
本書では、まず格差や貧困を取り扱う。貧困が幸福でないことは言うまでもないだろうが、格差によって一部の富裕層(彼らはとりあえず幸福かもしれない)がますます富める中で貧困が拡大している。日本の場合、再分配が弱い点が指摘されている。格差の拡大は貧困層の拡大を、そして不幸の拡大をもたらしている、とも言える。
最近の日本は、経済成長とともに格差の拡大が進んできたと言われている。成長と平等は両立できず、成長を牽引する層が必要ということであるのだろう。しかし、本書では格差拡大は経済成長にマイナス効果であったと述べている。中間層の縮小が消費を減らし、質の高い教育機会が減少することで次世代の経済成長にマイナスとなる。これからは、成長のあり方を見直していくべきかもしれない。
また、本書は経済成長を必ずしも追求していない点も興味深い。経済成長も確かに幸福を高める。しかし、成長の犠牲になるものも大きい。その代表は環境問題である。もちろん、環境問題の解決に技術で対応することで新たなビジネスチャンスが生まれ、成長をもたらす可能性はある。それでさまざまな問題を克服してきたのも、また事実である。しかし、新たな技術は新たな問題も生む。これまでのプロセスは、環境問題の深化、深刻化でもあった。したがって、技術一辺倒で弊害を小さくすることは難しいのではないか。
また、われわれの生活も、成長の追求による犠牲がある。自由な時間、家族とのコミュニケーションなどである。昨年、ラグビーワールドカップでの戦いを終えた日本の選手が「これまで多くのことを犠牲にしてきた。戦いが終わったので、これから取り戻していきたい」と、充実した表情で口々に話していたのを思い出す。何にも代えがたい大きな目標に向かって突進するのは大切だが、永遠に突進しつづけるわけにもいかない。どこかに目標と終点が必要なのだ。日本は経済成長という戦いを長年続けてきた。経済大国となり、目標は実現したと思われる。その戦いも、そろそろ終わりにしなければならないのではないか。犠牲にしたものを取り戻すことで、日本は新たな幸福のかたちを描く時期に来ているのかもしれない。