金曜コラム「私が学んできたこと」第6回:本は「読む」のではなく「当たる」もの
あまりはっきり覚えているのではないが、恩師の1人かた聞いた言葉である。この言葉だけでは、何を言いたいのかよく分からない。おおよそ、次のような内容だったと記憶している。
本を「読む」というのは、本に書いてあることを最初から最後まで通して読み、著者の考えを確認する作業を意味する。しかし、これは受け身の姿勢であるし、重要な部分にスポットを当てるのが大変である。そうではなく、自分自身が何らかの考えを持っていて、その考えに対して他者の意見を本から確認し、自分の考えに昇華していく作業の方が良いのではないか。これは能動的な姿勢であり、明確な目的をもってその本に接することになる。
そして、自分の考えに昇華できればよいのだから、その本を通して読む必要はない。必要な部分を探して、そこだけ吟味すればよいのである。そうした姿勢で本に接すれば、本は「読む」ものではなく「当たる」ものになるだろう。
読書法でも「目的をもって本を読め」とか「目次から書いてあることを予想して読め」といったノウハウが紹介されるが、いずれも本に「当たる」ということではないだろうか。自分の意見を昇華させるという目的があり、目次を見てそれが書かれていそうな場所を探る。これは、まさに「当たる」ことである。
もちろん、その方が読書にかかる時間も短くて済む。読まなくても良いところは読まないという意味で、一種の速読法にもなるだろう。私などは「全部読まないといけない」という考え方から抜け切れず、速読法も全文を素早く読む方が良いと思ってきた。しかし、それでは重要なところも中途半端にしか入ってこない。むしろ、アウトプットを前提として、不要な部分をそぎ落とし、必要な部分に絞り込む方が、有効なのだと感じつつある。なかなかそうした読み方に変えられないのだが、少しずつこうした読み方を取り入れていきたい。