金曜コラム「私が学んできたこと」第9回:できることを行う力と同時にできないことをできないと見抜く英知

 私が受けた大学院の講義の中で先生から聞いた言葉。恐らく、誰かの発言だと思う。

 政策で出来ることは限られている。例えば、今回の新型コロナの蔓延。緊急事態宣言や外出自粛要請、定額給付金やGoToトラベルキャンペーンなど、さまざまな政策が行われている。しかし、「何をしても何か批判されている」状況が続いており、政権の支持率も低下しているようだ。

 もちろん、私は批判することを悪いと言っているのではない。やはりどこかに問題があるのだろう。しかし、政策で何がどこまで「できるのか」、逆に言えば政策で何がどこまで「できないのか」、これらが必ずしも明確ではない。極端なことを言えば、新型コロナ感染者数をゼロにすることは不可能だろう。国民の生活に強大な制約をかけたとしても、どこかで感染者はきっと出るはずだ。このことに疑問を持つ人はいないと思う(ただし、こうした政策は不可能だろう)。

 ならば、どこまでの対応ならできるのか、その対応でどこまでの蔓延拡大を防ぐことができるのか、そこを明確にすべきだと思う。裏返せば、「これ以上の政策はできない」「これ以上の成果は得られない」という部分を明確にすべきではないか。しかし、それができていないのである。

 「最大限の対応」「しっかりやる」といった抽象的な表現はよく聞くが、そのために「GoToキャンペーンで感染者が出れば人災だ」という極端な意見が出てしまうのではないか。むしろ、「GoToキャンペーンで感染者が出ないことはありえない。それでも経済を動かさないといけない。そこで、GoToキャンペーンで経済を動かしながら、新規感染者の予測を〇〇人以内に抑えるよう対策を打つ」というメッセージを政府は発信することが必要ではないだろうか。政策によって得られる成果(=得られない部分)を知ることで、政策への期待を客観的に把握し、適切に判断できるのではないかと思う。

 その意味で「できることを行う力と同時にできないことをできないと見抜く英知」は、今なお至言ではないかと思う。

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