コラム:職場で男女共同参画が進まない理由
男女共同参画社会基本法が施行されて20年が経過した。男女共同参画社会は、職場や家庭・地域など、私たちが生活するあらゆる場面で推進しなければならない。特に職場に関しては、男女雇用機会均等法の施行から25年、最近でも女性活躍推進法が施行されるなど、男女共同参画の中でも重要な分野と言える。
だが、成果はまだまだである。特に、内閣府は指導的地位に占める女性の割合を2020年に30%まで引き上げることをめざしているが、現状では従業員100人以上の企業の女性管理職は10%にも達していない。職場における男女共同参画の推進は、きわめて厳しい状況である。
では、なぜこうした状況なのであろうか。企業が消極的なのか、女性が消極的なのか、男性が消極的なのか、そもそも社会が追いついていないのか、いろいろ理由は考えられる。いずれも大なり小なり当てはまるかもしれないし、人によって捉え方も違うであろう。企業側は「管理職を希望する女性が少ない」と認識しているように思われる。確かに、私の周囲にも、子育てや家事のため残業や休日出勤が難しく、管理職を希望しない女性は多かった。個人の希望は否定すべきではない。問題は、女性だから子育てや家事をするのが当然という雰囲気があり、本人が本当は管理職になりたいのになれないという状況で、これを改めることが男女共同参画の見地から必要である。性別にかかわらず、本人が希望する仕事ができるようにすることが望ましい。上記の目標がそうした状態を表している、と政府は考えているのであろう。
こうしたことを考えていた時、今週のエコノミスト(3月3日号)に興味深い記事を発見した。内容は、女性が男性に比べてアピールが弱いという傾向である。池谷裕二氏のコラムによると、2002年から2017年の間に医学系・生物系の専門雑誌に発表されたい学術論文(約620万本)のうち、女性研究チームによるものは「先例がない」「顕著な」「ユニークな」など、発見の意義をポジティブに打ち出す単語の使用頻度が低いという。特に「新規な」という言葉に顕著な違いがあった。このことから、「論文での押しの弱さが女性のポスト獲得において機会損失となっている」と推測されている、とのことであった。池谷氏も「あながちトンチンカンな推測ではないだろう」と述べている。
論文の意義に差がないとすれば、ここに男女の本質的な差があるかもしれない。これを職場に当てはめてみると、女性は男性ほど自分の仕事をアピールしないので、素晴らしい仕事をしても評価されることが少なく、結果として管理職になる機会が失われている、ということになる。
女性は子育てや家事を表面上の理由にしているが、仕事のアピールをしていない。となれば、女性は管理職を希望していないので、増やすことは難しい(適切でない)ということにもなるかもしれない。
しかし、私は女性管理職はもっと増えるべきと考えている。女性のアピールが弱かったとしても、組織の活性化に女性の役割が欠かせないからだ。本当に女性のアピールが弱いのならば、女性の隠された能力を積極的に見出し、組織にとってプラスとなるようにすべきではないか。また、男性の方が必要以上に押しが強いのかもしれない。そうだとすれば、男性の彩られた能力に騙されず、組織とってマイナスを持ち込まないようにすべきとも言える。
注意したいのは、論文の押しの強弱に男女の違いが見られるのは、研究の究極の目的にあるのかもしれない、ということである。男性は論文を通じて生活の糧を確立したいと思うであろうし、そのために研究の意義を必要以上に強調しようとするかもしれない。男女間の押しの強さの違いが仕事と家庭における役割分担から生まれているとすれば、上記の研究は男女間の本質的な差ではなく、むしろ男女共同参画が世界的な課題である、ということを意味する。どちらが正解なのか私は答えを持ち合わせていないので、研究が深まるのを期待したい。