9月学校入学への移行について-公務員の立場から言いたいこと
新型コロナウィルスの影響で学校での授業開始が大幅に遅れている。大学ではおおむねオンライン形式で始まっているようだが、小中学校や高校では課題こそ出されているものの大幅な遅れが明らかであり、夏休みや学校行事の縮小が迫られるなど挽回するための対応も検討されている。
こうした中で、「9月開始へ移行」の議論がかなり唐突に出てきた。しかも、国と自治体いずれも前向きに検討されるという。識者からも多様な論点が示されていて、実現には多くの課題があると分かるのだが、それだけに政治が前のめりになっていることが際立っているような印象である。
私は教育分野の専門家ではないので9月開始の賛否を述べる資格はないが、元地方公務員の立場から、こうした議論への懸念をいくつか述べてみたい。
まず、このような改革は、やはりトップダウンでなければ難しい。従来どおりの4月開始にも、9月開始にも、どちらにもメリットとデメリットがあるからである。したがって、議論は必要であるが、議論を尽くしても誰もが喜ぶ結論は出てこないだろう。公務員の立場でも、メリットが大きい機関とデメリットが大きい機関が出てくるから、それぞれの機関が対等な立場で議論しても誰もが納得する結論は出にくい。結局、現状が変わることなく、お決まりの「先送り」のような形になる。
先送りを防ぐには、むしろトップが初期の段階で意向を示したうえで、公務員はそれを踏まえて動く方が有効であろう。結論が動かせないと意識した時点で、公務員は結論を想定しながらメリットを大きくしつつデメリットを小さくする方策を議論するモードに切り替わる(そうした議論も公務員は不得意ではないと思う)。
今回の議論は唐突な面はあるものの、「先送り」が問題視される中で、それを許さないトップの強い意思が伝わってくる点では評価できるだろう。唐突感は、ある程度やむを得ないと私は考える。
ただし、政治による意思決定の責任は自ら負う必要がある。責任とは、トップの下した結論が国民の意思を反映しているかどうか、ということだけではない。組織のトップとして、公務員を率いる立場として、決定した意思を組織に浸透させて実現する責任もトップに課せられる。
公務員は上司の命令に従わなければならないから、トップの意向を踏まえるしかない。しかし、トップが決めても実行できる体制(予算・人員・スケジュールなど)が伴わなければ実現できずに終わるか、混乱するか、遅れる、という結果になってしまう。その責任は公務員ではなくトップにある。「公務員はやる気がない」「抵抗勢力が邪魔をしている」などと公務員が批判されることもあるが、トップの言い訳、責任逃れとも言える面もあるのではないか。公務員バッシングは世間にも受けるので、政治的メッセージとして伝わりやすい点が厄介である。
強い意思と覚悟に加えて、実行可能な体制づくりもトップにはお願いしたい。