「出口戦略」の重要性と危険性

 今回の新型コロナウイルスへの対応について、現在、自粛要請を解除するための分かりやすい基準の設定をめぐって、国と地方のせめぎ合いのような応酬が展開されている。国と地方が一丸となって対応を進めていかなければならないとすれば、現在の状況は大きな問題と言えるだろう。

 ただ、分かりやすい基準の設定は確かに重要である。基準が分かりやすければ、政府の判断がどのような形で行われているのかが国民にも理解できるし、国の対応にも一貫性が生まれるだろう。また、国民も長期にわたる活動自粛のなかで何を目指せば良いのかが明確になるから、「こうすれば出口にたどり着ける」というモチベーションになるだろう。

 そうした意味で、出口戦略と判断基準をわかりやすく示すのは政府と国民双方にとって重要なことだと思う。その点で、国は地方よりもやや後手に回っている印象があるが、国も早急に基準を示してもらいたいし、地方もそれぞれの実情に応じた独自の基準を示してほしい。

 同時に、「出口戦略」という言葉には少し恐れも感じている。多くの家庭では「コロナが収束したら、〇〇したいね」などと話しながら今の状況を耐えていると思われる(私の家庭も同じで食事や旅行など、まさに今控えていることをしたいと考えるのではないか)。今回の出口戦略の問題は、緊急事態宣言を5月末まで延長することに関して出てきているが、仮に5月末に解除されてもこれまでと全く同じ日常生活が取り戻せるとは思えない。政府も「新しい生活様式」提示しているが、その内容が良いかどうかはともかく、これまでの日常生活とは大きく異なるものばかりである。仮に我々が出口に到達したとしても、今までほどではないにせよ様々な活動が制約されることを早い段階で示しておかなければ、人々の活動が一気に拡大してしまう可能性もある。そうすれば、再びトンネルの中に引き戻されてしまう。出口にもいくつかの段階があり、5月末の解除は最初の出口(つまり一定の前進ではあるが通過点となるもの)であるように思う。

 首相や大臣、首長が様々な発信をしているなかで、国民の反応も極端になっている印象がある。(誰とは言わないが)今は国民が望むメッセージを発して熱狂的な支持を得ていても、ステージが変わり新たな状況になった時に、同じような支持が得られる保証はない。むしろ、少しでも落胆を招いた場合は反動となって批判が爆発してしまう可能性もある。

 「そろそろ出口を」と求めている国民の心を掴むことはこの段階で重要だが、その出口のイメージも正しく形成されるよう、今から手を打っておく必要があるのではないだろうか。

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