水曜コラム「公務員の学び」第10回:批判的読書のススメ
先週の投稿に続き、今回も読書について述べたい。それは「批判的読書」である。
私も大学院に行くまでこうした読書をしたことがなかった。むしろ、受験生時代のクセで、本に書いてあることがすべて「正解」だという前提で本を読んでいた。本に書いてある正解を正確に覚え、内容を理解して、試験問題でいかに正解を表現するかが最終目的であったから、教科書や参考書に書いてあることは、すべて「正解」である(そうでなければ、受験にはならない)。
しかし、大学院や社会での学びは、これとは正反対とも言える。批判的読書、つまり書いてあることをいかに「疑うか」が重要である。もちろん、書いてあることに誤解や不正確な点もあるだろう。しかし、それだけではない。経済学などの社会科学の分野では、本に書いてあることは著者の「意見」であり、それを説得するための「根拠」である。意見は人によって違うし、その中で自分の意見を明確にしなければならない。そのためには、本を読むときに著者の意見をそのまま受け入れては自分の意見ができない。だから、「疑う」姿勢を持つことが大切である。いろいろな本を読み、いろいろな視点から「疑う」こと、それを蓄積し整理することで、自分の意見が見えてくるのである。
しかし、受験生時代のクセはなかなか抜けるものではない。また、著者も自分の意見の正しさを強調するから、それに疑いを持つことは最初のうちは難しいだろう。そこで、次の方法をススメたい。
それは、同じテーマで意見の異なる本を比べ読みすることである。例えば、地方創生の分野では「地方消滅」というベストセラーがある。これは地方創生を考える人には必読書だと思うが、これだけを読んだのでは「地方は消滅する」ことに疑いの念を持ちにくい。書いてあることをそのまま受け入れてしまい、自分の意見を引き出すことができない。そこで、例えば「地方は消えない」「地方消滅の罠」といった、逆の立場の本も刊行されている。これも一緒に読むのである。こうすることで、疑いを持たなくても、本同士が疑いをぶつけあう形になるので、読者はどちらを正しいと思うか、アンパイヤのようになれば良いのである。
これと同じような方法として、新聞の「社説」を読み比べることをススメられたことはないだろうか。社説には、新聞社の立場が明確に出ている。どこに重点を置き、どのような意見を述べているのかを比べることができる。これも、批判的読書の1つと言ってよいだろう。これを応用したのが、今回のコラムの内容と言ってもよい。