土曜コラム「今週のニュース」第10回:パブリックコメントの意義と課題

 今週もいくつかのニュースをとりあげた。その中で、以下のニュースについてさらにコメントを加えておきたい。

 ゲーム条例の意見公募、大量の賛成意見は「組織票」か…同じ誤字10件以上

このニュースについて、私は以下のようにコメントした。

 参考意見としてしか機能しえないパブコメでは、十分な力を持ちえない。もう少し前の段階で意見を募る仕組みも必要かもしれない。

 ここから今日の追加文である。パブリックコメントは、基本的に誰でも意見を述べることができる点で、広く開かれた仕組みであると言える。代表制民主主義の仕組みのなかで、個人の意見が政策形成に反映されるのは、選挙や直接請求などはあるものの、個々の具体的な政策に関しては機会が限られている。わずかに、住民監査請求などもあるが、これは政策が行われた後に、違法若しくは不当な財務会計上の行為があると認められる場合に行われるものである。政策が形成される段階で個人の意見を取り入れる仕組みは、大半の自治体でパブリックコメントくらいであろう。その意味で、パブリックコメントの意義は確かにある。

 しかし、パブリックコメントにはいくつかの問題点がある。第1に、コメントが反映されるとは限らない点である。例えば、東日本大震災の後にエネルギー基本計画を定めた際に、原子力発電に反対の立場から多くのパブリックコメントが寄せられた。これは、エネルギー基本計画の内容と大きく異なるものである。しかし、コメントが計画に生かされることはなかった(もちろん、コメントをどこまで生かすべきか、という問題もある。後述の意見と関連あり)。今回の条例では、条例案に賛成の意見が多く寄せられた点では、条例の成立によってコメントが活かされたことになるが、第2の問題としてコメントの意見が国民・住民の意見を集約しているとは限らない点が挙げられる。国民・住民が意義ある仕組みを活かしきれていないのは残念でもあるが、積極的にコメントを寄せる人は限られているのが現実だろう。したがって、コメントの多数意見が国民・住民の多数意見であるとは言い切れない。第3に、計画がほとんど完成した段階での意見であるため大きな修正が難しいという問題がある。コメントに対応できるのは、計画のレベルアップや微調整の範囲ではないか。それ以上の修正は、スケジュールの問題もあり対応されないことが多い。

 ※今回の記事ではコメントに「組織票」があったことを問題視ししている。確かに作為をもったコメントの行使は問題とも言えるが、これを避けるには記名式などの方法をとらねばならず、別の問題を生む可能性もある。また、記事では賛成の組織票があったことをとりあげているが、逆に反対の組織票も行いうる。組織票を厳格に禁止する仕組みか、組織票がある(それが見破れない場合もある)ことを前提にコメントを取り扱うかしかないのではないか。

 こうした問題を回避するには、政策形成の計画段階で広くコメントを募集する機会もあって良いかもしれない。そうすれば、コメントを反映しやすくなるだろう。それでも上記の問題がすべて解決されるわけではないが、現在のパブリックコメントも、事前のコメントがどのように反映されているか(反映されていないか)をチェックできるものになれば、より活性化すると思われる。

 ただし、計画段階のコメント募集には別の問題がある。白紙の状態で国民・住民からコメントを求めても、困惑される場合があるからである。何らかの「たたき台」があった方が意見が言いやすいことも確かである。このあたりは、国民・住民も試行錯誤や思考訓練を繰り返して意見を述べられる状態にしておくことが必要であろう。

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