水曜コラム「公務員の学び」第14回:読書ノートを作るべきか?
本を読むときに「読書ノートを作るべきかどうか」は大変悩ましい問題です。大量に本を読む読書家の間でも、意見は大きく分かれています。丁寧にペンで読書ノートを記録することを勧める人もいれば、「そんなことをしている時間がもったいない」と考えている人もいるようです。「ノートをとって覚えるよりも学んだことを行動に移して体にしみこませるべきだ」と言う人もいます。
確かに読書をしても内容をすぐに忘れてしまうので、「もったいない」と考える人はとても多いと思います。私もその1人で、忘れていることを思い出すたびに加齢を感じてしまいます。しかしやはり時間をかけてしっかりノート書いても、後で見返す習慣がなく、結局やめてしまいます。「もったいないから書く」「面倒だから書かない」この繰り返しで今まで過ごしてきました。一貫性がないことに入って自信を失ったこともありました。
しかし、今は次のように考え方を変えるに至りました。つまり、引き出すことを想定して読書をすればよい、ということです。ノートをとるかどうかも、引き出すことを想定して決めればよいことになります。
本を読み、一言一句を永久に覚えている人はいないと思います。もちろんその必要もありません。大切なのは、読んだ内容を引き出すべき時に引き出すことができるかどうか、ということです。つまり「アウトプット」です。引き出す場面としては、会話のこともあれば文章に書くこともあるでしょう。会話の場合は即座に引き出す必要がありますが、正確さは多少犠牲にしても問題ないかもしれません。一方、文章の場合は正確性が求められますが、後で調べれば間違いを防ぐことができます。
引き出す場面として会話が多い人の場合は、読書ノートがあった方が良いかもしれません。会話の塊として使えるものをノートにまとめておけば、後で必要な時にそのまま引き出すことができます(したがって、読書ノートは単なる要約ではなく自分の言葉として書くものです)。
引き出す場面として文章が多い人の場合は、本に書かれていることをそのまま引用する場合もありますので、すぐに見返せる状態にしておけば問題ないでしょう。ただし「その本にこういうことが書かれてあったはず」ということを思い出せなければならないので、記憶のトリガーとなるものは持っておく必要があります。読書ノートは特に必要ないと思いますが場合によってはキーワードなどをメモしておくと良いかもしれません。
このように、「読書ノートを作るべきかどうか」という問題は、「その人が読書で得たものをどういう場面で引き出したいのか」によるのではないかと思います。読書の目的が異なる以上結論が対応になるのは当然ということになります。場合によっては、同じ人でも本によって目的は多様ですから、読書ノートを作るべき本と作らなくてもよい本に分かれると思います。
私は読書ノートについての一貫性がないことを嘆いていましたが、それはある意味自然のことだったのかもしれない、と今は自分に言い聞かせています。