金曜コラム「文章、プレゼンの基礎」第27回:人が「A」と言うなら、自分は「B」と言う

 これは私の恩師に教えてもらったことです。世の中には「定説」「通念」と呼ばれるものがあります。例えば、日本の人口減少はデータから明らかです。しかし、地域によっては逆に増加している事例もたくさんあります。また、格差が拡大していると言われています。しかし、貧困層の生活レベルが下がっているということでは必ずしもありません。私たちが繰り返し聞いている言葉を、何の疑念もなくいつの間にか受け入れている状況があります。

 「FACTFULLNESS」という本がロングセラーとなっています。まさに、私たちが繰り返し聞いてきた言葉がいつのまにか通念になっていて、事実が必ずしも正しく認識されていないことを、多くの人が驚きを持って受け取ったからだと思います。

 ここまでの話からよく聞くアドバイスは、「事実をしっかり把握しよう」「常に疑問を持とう」というものでしょう。もちろんその通りだと思いますが、私はタイトルに書いたような姿勢が必要だと思います。

 私の専門は経済学ですが、経済学を使った研究は、「正解」よりも「納得」が大切だと考えます。経済学の研究対象には分からないことがたくさんあります。もちろん研究が進んで分かることも増えていくのですが、現実の変化によって分からないことも増えていきます。結局、分からないことはどこかに残っているのです。だからこそ、すべてをクリヤーにできるわけではなく、見えないものがあるなかで、納得してもらえる解答を示すことが必要です。

 裏を返せば、解答も多様になるわけです。そこで、タイトルのような思考が有益になります。多くの人が「A」だと言っていることは、通念と言えるでしょう。しかし、それは多くの人の納得を得ているものの、絶対的な正解ではありません。むしろ、見落とされている点もどこかにあると思います。そこで、あえて「B」と言ってみることで、人々に新しい視点を提示するのです。そして、「A」という通念が見落としているものをズバリと指摘することができれば、人々に大きなインパクトを与えることができます。

 こうした姿勢や思考を習得するには、多少ひねくれ者でなければならないかもしれません。多くの人が「A」と言っていることに、あえて「B」と言うのですから、周囲から孤立することもあるでしょう。しかし、それでこそ、「B」という主張の価値が出てくるのです。それが時を経て人々に広がっていけば、まるでオセロがひっくり返るかのように立場が変わってきます(ただし、今度は「B」が新たな通念になっていきます)。

 学生の場合、ディベート大会などで「意見A」「意見B」などチームに分けて討論する企画があります。今回述べたことは、まさに通念を相手にしたディベート大会と言えるでしょう。ディベート大会の勝敗は、審判や観客が判断します。つまり、通念が必ず勝つわけではありません。研究やプレゼンテーションでも、通念とのディベート大会のような形で意見を提示し、読者や観客に納得してもらえる内容にできれば、大きなインパクトを与えることができると思います

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