土曜コラム「今週後半のニュース」第49回:余剰ワクチンは誰のもの?

 今週の後半も多くのニュースにコメントをしましたが、今回は次のニュースを改めて取りあげたいと思います。

「余剰ワクチンは教職員に接種」新潟・三条市長ツイートに反響

 このニュースについて、私は次のようにコメントをしました。

 自身が接種を受けることに批判が集まる中、教職員への接種には賞賛が集まった。今後の対応の参考になる。

 余剰ワクチンを誰が接種するのかが大きく注目されています。首長が接種すると「ずるい」と批判され、記事のように学校の先生が接種すると「素晴らしい判断」と賞賛されます。もちろん、首長の判断も「医療従事者の1人だ」「新型コロナ対策を主導するため」といった理由が間違っているわけではありません。しかし、ワクチン接種をめぐって各地で予約がとれず、高齢者の怒りが聞こえてくる中での接種なので、納得いかない点があるのも理解できます。

 こうしたら問題は、さまざまな角度から考えることができると思いますが、「国がもっと明確な基準を示すべき」という意見があります。「首長が医療従事者あるいは新型コロナ対策のリーダーとして先に接種して良い」と国が対応を示せば、ここまで問題にならなかったのでは、ということでしょう。「国は地方に丸投げして責任を逃れている」といった批判もあるので、それに関連した意見だと思います。

 しかし、私はそこまでする必要はないと思います。むしろ、そんなことまで国に決めてもらわなければ動けないようでは「地方自治体」とは呼べないでしょう。確かに注目されていることなので、首長も慎重に対応しなければなりませんし、下手をすると批判されてしまいますから、「国が決めたことだから」と言えば責任を逃れることはできるかもしれません。しかし、そうした姿勢は日頃の自治体運営にも出てしまいます。あらゆることに対して「国が基準を示せ」とか「国がもっとしっかりしてくれないと」と、まるで国が自治体を運営しているかのような認識になってしまいます。

 むしろ、自治体が自らの判断と責任で行動し、国に自治体の力を見せつけるくらいの気概があっても良いと思います。国から地方への権限や財源を移譲する際に、「受け皿論」が出てきます。これは、「地方が権限や財源を適切に行使できないから移譲すべきではない」という国側の立場です。つまり、地方自治体が信用されていないわけです。「基準を示せ」という意見は、「受け皿論」を助長し地方自治を後退させてしまうと思います。もちろん失敗することはあるかもしれません。しかし、「失敗と書いて「せいちょう」と読む」と言われるように、失敗が責められるのはそれを次に活かせないからです。新型コロナ対応は、前例やエビデンスが十分でない中で最善の判断を模索し、実行しなければなりません。

 すでに1年以上の取り組みとなっている中で、失敗もあると思います。国に何でも求めるのではなく、1700の地方自治体が成功と失敗の経験を共有し、より良い対策を模索していくことが大切だと思います。そして、その蓄積が地方自治体の役割をさらに強めて地方自治の進展に結びつけてほしいと思います。

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