日曜コラム「マイ・オピニオン」第2回:出生率の大幅低下について、新型コロナ対応との接点から考える
昨日の投稿では出生率の大幅低下に関するニュースを取り上げ、これからも何度か論じていきたいと述べた。早速ではあるが、最近やはり大きなニュースが続いている(こちらの方が関心は高いだろう)、新型コロナ対応にかかる議論を交えて、出生率の低下問題に切り込みたい。
まず、出生率の低下は確実に、出生数の減少と総人口の減少を加速させる。そして、これらの減少は、経済活動の縮小と社会保障の脆弱化という大きな影響を及ぼす可能性が高い。出生率を向上する目的も、こうした影響に対応するという文脈で語られることが多い。
一方、新型コロナ対応はひとまず「命か経済か」という二者択一を迫られているように見える。確かに、感染者の広がりが収まらないなかで経済活動を過度に優先すると、感染の広がりと死者数の増加を招く。このように、短期的には二者択一の面がある。しかし、長期的には命を救うことが経済活動の縮小を免れるから、長い目で見れば二者択一ではなく「命も経済も」という両立が可能になる。
こうした新型コロナ対応の議論を、出生率のそれにも当てはめてみたい。出生率の向上が経済活動の縮小と社会保障の脆弱化を免れるのは、長期的な効果としてである。しかし、短期的には必ずしもそうとは言えない。むしろ、出産や子育ての経済的負担が大きいため出生率が向上しないのである。短期と長期で様相が異なる点は、どちらも共通しているようだ。
もちろん、両者には根本的とも言える違いがある。新型コロナ対策のように「命か〇〇か」という時には、すでにある命が対象となるが、出生率に関してはこれから生まれる命が対象となる。すでにある命を捉えることと、これから生まれる命を捉えることは、確かに大きく違うと感じる。何が違うのかは哲学的な考察が必要だ(自分には取り扱う能力がないので、省略せざるをえない)。
ただ、どちらも命であることに違いはない。仮に両者の命を同列に扱うことを許されるのならば、いずれも似たような構造を持っていることになる。短期的には経済とトレードオフだが、長期的には両立しうる、ということである。
だとすれば、短期的にはトレードオフを解消する取り組みが必要になる。出生率の向上では経済的支援、新型コロナでは給付金などであろう。
しかし、新型コロナ対策としての財政出動を政府は「世界最高レベル」とアピールしているが、そうであればあるほど出生率への対策が弱いと感じてしまう。どちらも長期的には人口と経済が両立する問題なのに、である。出生率向上のための対策も、もう少し力を入れて良いのではないだろうか。
昨年の出生数は、統計の残る中で過去最低の86万人であったという。政府が長期的にめざしている出生数よりも、おそらく数十万人単位で足りないだろう。命の重さは比べられないので数字だけでは判断できないが、これだけの規模の出生数を政府が本気で確保するのであれば、今回の新型コロナ対応の予算も参考にして出生率向上のための財政出動のあり方も再検討すべきではないか。それができないのであれば、目標そのものを見直した方が良いかもしれない。
新型コロナ対策への議論も百出していて冷静な議論ができない中で、出生率の大幅な低下も個人的には大変ショッキングなニュースであった。感情が先行している中で冷静な問題提起ができたかどうか私にも自信はないが、もう少し状況が落ち着いてから反省も込めて再論してみたいとも考えている。