コラム:ふるさと納税-真の問題は何か
ふるさと納税の受入額は、制度開始から10年で5,000億円を突破した。まさに右肩上がりの増加で積極的に活用されているのであるが、行き過ぎた返礼品競争が問題となっている。私も、関連ニュースをTwitter(@inotake555)で何度か紹介してきた。
だが、本当の問題は過剰な返礼品競争の抑制にあるのではない、と私は感じている。もっと税の根本的な問題に踏み込んで考えなければならないのではないか。
納税とは、政府の公共サービスに対する私たちの負担である。公共サービスとして主に提供されるのは、市場では適切に供給されない公共財(道路など)や再分配(年金など)である。そのため、公共サービスの規模や内容は社会的合意によって決められ、私たちの負担(税)は支払能力や受益の大きさによって決められる(分任)。市場サービスと違って、個人的には必要ないものでも社会的合意によって必要とされた公共サービスには、皆が何らかの負担をすることになる。
また、公共サービスは国と地方(都道府県・市町村)の役割分担で提供されるが、これは公共サービスがもたらす便益の範囲に対応している。すなわち、空間の広がり(空間軸)である。例えば、近所の小さな公園はほとんど地元の人が使うから、市町村が提供する。市町村をまたぐ都道府県道の整備と負担は都道府県が、都道府県をまたぐ幹線国道は国が提供する、といった形である。そして、負担も公共サービスの対価として、提供主体に納税するのが基本である。
さらに、時間の広がり(時間軸)もある。例えば、公共施設は整備した後に長期にわたって使用できるため、次世代にも公共サービスが提供される。それに応じた次世代の負担は、建設公債つまり借金の返済という形で行われることになる。もちろん、現世代は過去に整備された公共施設を使用し、その対価として借金返済への負担をしている。
このように、公共サービスは空間と時間の広がりに応じて社会的合意に基づく集団への供給と負担の分任によって成り立つものである。
しかしながら、現実は必ずしもそのようになっていない。国の借金は世界最悪の状況で、地方の借金も増えている。これは、合意への意思表示ができない次世代に過度な負担を押しつけていることになる。また、地方の公共サービスも国からの財政移転(補助金・交付税など)によって成り立っており、空間軸の整合性が問われている(特に交付税は過疎地域を過度に優遇しているとの批判が強い)。
ふるさと納税も空間軸のバランスに影響を与えるものである。居住地で提供される公共サービスに対して、負担だけ他の地域に流出するからである。もちろん5,000億円という金額は、借金や財政移転の規模に比べるとまだまだ小さい。しかしながら、問題は地方がふるさと納税を進める目的である。特に、借金に苦しんでいる自治体が、ふるさと納税で打開しようとしているのであれば、大きな問題である(特定の自治体を想定しているわけではないが、少なくないのではないか)。
多額の借金を抱える自治体は、端的に言えば時間軸でのサービスと負担が他の自治体よりもアンバランスな状況にある。つまり、現世代の住民の負担が他の自治体よりも少ない中で、大規模な公共サービスを提供していることになる。その打開策をふるさと納税に求めれば、ここに空間軸のアンバランスを加えることを意味する。時間軸でのアンバランスを空間軸でのアンバランスで正そうとしても、公共サービスの提供と負担のあり方を考えると、むしろますますアンバランスになってしまうのではないだろうか。
なお、こうしたアンバランスは程度の問題であり、特定の自治体だけが批判されるべきものではない。国も自治体も無関係ではありえない。しかし、国も自治体も、ふるさと納税以前に公共サービスと負担のアンバランスの是正まで意識しているとは思えない。国は返礼品の割合に規制をかけたが、ふるさと納税を活用する人の目的は依然として返礼品である。なぜならば、多くの人の正直な感覚は、自分の納めた税金が社会的合意どころか何に使われているのかさえよく知らず、依然として「取られる」というものだからである。ふるさと納税の問題を通じて、こうした状況まで踏み込んで是正しようという動きは、国にも自治体にも目立ったものは見受けられない。
公共サービスの必要性と負担への合意が得られていない限り、ふるさと納税の趣旨の前にある納税の趣旨が活かされず、返礼品競争だけを是正しても根本的な解決にはならない、と私は考える。むしろ、返礼品競争への規制がクルーズアップされればされるほど、根底にある問題が見えなくなってしまうように思えてならない。